What's KOMODARU?
菰樽のはじまり

What's KOMODARU?
菰樽のはじまり

江戸時代、上方(大坂や京都を始めとする畿内)、特に灘・伊丹の上質なお酒は「下り酒」(くだりざけ)として江戸に送られました。当時から、日本酒は杉でできた樽に入れられていて、二斗樽(36リットル)を馬の背に乗せて運ばれていました。しばらくすると、大量に速く運べる船での輸送が主流となり、酒樽輸送専門の船「樽廻船(たるかいせん)」がつくられました。文政4年(1821年)には四斗樽(72リットル)が100万丁以上運ばれたという記録がありますが、これは江戸で飲まれていたお酒の約8割にあたります。
下り酒を船で運ぶのに困ったことは酒樽の破損でした。そこで、樽を衝撃から守るために稲わらを巻き、その上から菰を巻きつけ、縄で荷造りました。これが菰樽のはじまりです。

江戸時代、上方(大坂や京都を始めとする畿内)、特に灘・伊丹の上質なお酒は「下り酒」(くだりざけ)として江戸に送られました。当時から、日本酒は杉でできた樽に入れられていて、二斗樽(36リットル)を馬の背に乗せて運ばれていました。しばらくすると、大量に速く運べる船での輸送が主流となり、酒樽輸送専門の船「樽廻船(たるかいせん)」がつくられました。文政4年(1821年)には四斗樽(72リットル)が100万丁以上運ばれたという記録がありますが、これは江戸で飲まれていたお酒の約8割にあたります。
下り酒を船で運ぶのに困ったことは酒樽の破損でした。そこで、樽を衝撃から守るために稲わらを巻き、その上から菰を巻きつけ、縄で荷造りました。これが菰樽のはじまりです。

江戸に運ぶ際に、どこのお酒かわかるよう菰に銘柄が印刷されるようになりました。菰に銘柄(印=しるし)を刷ったものを印菰(しるしこも)と呼びます。菰にえがかれる印(しるし)の、日本独特の色づかいや大胆なデザインは、メッセージ性の強い広告媒体としての役割も担い、江戸に送られた菰樽は酒問屋や飲み屋の店頭広告としても使われていました。今も当時のデザインをそのまま使っている蔵元もあり、菰樽は江戸時代のデザインが現役で残っている数少ない商品といえます。

菰樽には、「菰被り(こもかぶり)」「菰冠(こもかぶり)」「菰冠樽(こもかぶりたる)」「本荷樽(ほんにたる)」など、いろいろな呼び方があります。

江戸に運ぶ際に、どこのお酒かわかるよう菰に銘柄が印刷されるようになりました。菰に銘柄(印=しるし)を刷ったものを印菰(しるしこも)と呼びます。菰にえがかれる印(しるし)の、日本独特の色づかいや大胆なデザインは、メッセージ性の強い広告媒体としての役割も担い、江戸に送られた菰樽は酒問屋や飲み屋の店頭広告としても使われていました。今も当時のデザインをそのまま使っている蔵元もあり、菰樽は江戸時代のデザインが現役で残っている数少ない商品といえます。

菰樽には、「菰被り(こもかぶり)」「菰冠(こもかぶり)」「菰冠樽(こもかぶりたる)」「本荷樽(ほんにたる)」など、いろいろな呼び方があります。

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